ついに待望の!
自分が書いた本ではありますが。。。
コンパクトな。
100ページちょっとだけど中身は結構ゴツいことが書いてある私の本。
「きれいな胃してますね〜」と言われた時に読む本-機能性ディスペプシア読本-のサンプルが届きました。
手で持ってみるとやっぱりテンション上がります!
3月3日(月)にAmazonで販売です〜。
ご予約・ご相談お待ちしております。



2025年5月7日に10周年を迎えます。
その振り返りをしています。
前回のブログはこちら。
前回のブログでは資金を借りたお話をしました。
もちろんそれも水面下でコソコソとやった話です。
本業はリラクゼーションサロンの育成部です。
21時半過ぎまで働きます。
その中でも完成させていきました。
時系列的には本当に10年前の今頃、2月や3月の話です。
資金調達以外にも水面下でコソコソと動きました。
・看板
・内装
大きいものでいえばそれです。
特に看板はすごく親身になってもらいました。
なぜなら僕が仕事を終えたあと日付が変わるか変わらないかくらいまで相談に乗ってもらいました。
看板って表札とは違い、ただあるだけではダメなものでして、いかにその人の思いを誰に何のために届けるのか。そこまで必要だからです。
一番最初に設置しました。
そしたらここに治療院ができるんだということが伝わるからです。
内装は同級生のつながりで作りました。
これは出来上がったイメージですがもう今とは全く違ったつくりですね。
非常にいい感じで作れましたが今思えばリラクゼーションサロン出身の私にはもっと鍼灸の動線などを考える必要があったのかなと思います。
とにかく水面下で動きました。
絶対になりたい自分に成るという強い志があったから仕事が終わってからも動けたのかなとも思います。
院はどんどん出来上がる計画が進んでいきます。
対して近づいてくるものがあります。
職場の方達との別れです。
それまでの職場では「裏切り者」「二度と敷居をまたぐな」「二度と俺の前に現れるな」「半端者はいつまで経っても半端者」などと言われていい別れはなかったです。
技術職って円満退社って言葉なんてなくて、どれだけ馬車馬のように働いても、「恩を仇で返した」という形になってました。
しかし、色々ありましたがその頃いた最後の職場は送別会まで開いてくださり送り出してくれました。
それ以来、意図的に会わないようにしてました。
なぜなら自分の退路を断ちたかったからです。
いつでも戻って来られるという逃げ道が成功を遠ざけると考えていたからですがもうそろそろ挨拶に行ってもいいかなと思うところはあります。
次回は開業へです。
ご予約・ご相談お待ちしております。
当院は2025年5月7日で10年を迎えます。
今、その振り返りをしています。
前回のブログはこちら。
事業をやるにおいて不可欠なのが資金です。
資金がなければ何もできません。
アイワ工芸の横地さんとの会話で「借入はするの?」という話が出て、真剣に店舗立ち上げを考えました。
そこで私が手に取ったのは一冊の本。
【自由であり続けるために僕らは夢でメシを喰う】という本。
この本は鍼灸の専門学校に入ったばかりの頃、絶対にお店をやると決めていたので購入しました。
ふざけたジャケットですが書いてある内容は超濃厚です。
店舗の選び方から、事業計画書の書き方、お金の借り方まで全部乗っています。
この本を参考に事業計画書を作成しました。
事業計画書はかなり辛く書きました。
「いやいや、こんなにコケんでしょ。」とつっこみたくなるくらい辛く、手堅く書きました。
その事業計画書を懐に携え、向かった先は政策金融公庫です。
仕事が始まる前、数時間を利用して話し合いです。
当時、アベノミクスとやらで自分が借りたい金額の1/10持っていれば借りられるとHPにも書いてありましたので政策金融公庫で借りてこの局面を乗り切る計画でした。
しかし。
政策金融公庫ではこう言われます。
「ん〜、この自己資金では。ん〜。実際は借りたい金額の1/3は持っていてほしい。」とかなり渋めなリアクション。
さらに「HPにはそうは書いてあるけれど、返せれるかどうかなんです。ましてや実績ないですよね?」
記憶にばっちり残ってますがそう言われたのはすごく残ってます。
そこで私はこう切り返します。
「実績ですか、21歳からマッサージをしてきました。ここ7年はショッピングモールなどに入っているタイセイカンの本部で人の指導をしてきました。業界では大手なんですが。」
担当者から「タイセイカンは聞いたことがないですね。事業計画書は素晴らしいです、でももう少し貯めてから来てください。」そう言われ私は心の中でこう呟きました。
私『まじか。前の会社はある程度大きいと思っていたけれど一歩外に出てみたら全然知られていないし、自分自身の信用はゼロなんだな。』
なかなか現実は厳しいものでした。
レベル1です。ドラクエで言うところの。
まさにジョブチェンジ。
ちなみに何が一番のネックだったかというと結婚式を挙げた後に預金残高がガクンと減っているところが貸せない理由だったとのことです。
お金を借りることができないというピンチに陥ります。
しかし、前に前に前に進む私。
計画前倒しで鍼灸用品を見に行くことにしました。
向かった先は岐阜県。
※これは岐阜城からの景色です。
岐阜県岐阜市にイトウメディカルという鍼灸用品を扱う会社があります。
そこに開業に向けて備品を揃えるために足を運びました。
タオルやベッドなどなど見積もりを出してもらうのが目的でしたが、そこで大きな出会いをします。
伊藤社長との出会いです。
社長さんがいなかったら今の自分はいません。
私が政策金融公庫でお金が借りることができなかったというお話をすると伊藤社長はうんうんと優しく聞いてくれました。
伊藤社長も当然のことながら借入をしたことがあります。
その時、岐阜信用金庫で借りたとおっしゃってました。
そこで私は閃きます。
岐阜信用金庫?
口座持ってるぞ。
大学の先輩に岐阜信用金庫の人いたぞ。
アメフト部時代の監督だ!!
私は今でこそ、空手を頑張ってますが、大学時代はアメリカンフットボール部に所属していました。
その監督につながるにはツテを辿っていくしかない。
おそらく、キャプテンだったら連絡先を知っているだろうと思い、向かった先は愛知トヨタ。
先輩は元気でしたが監督とはつながれませんでした。
しかし、愛知銀行で働いている別の先輩と繋がれるとのことでしたのでソッコーで連絡しました。
学年はカブっていませんでしたが関わりはあったので自分がやりたいことを伝えます。
すると、案件的には信用金庫の方が良いという貴重な情報を教えてくれました。
じゃあ、当時の監督とはどうつながるのか。
もう店に電話をするしかないとのことでしたので当時監督が務めていた支店に電話しました。
すると監督は別の店舗にいて責任の大きい立場になっていました。
そこからは話が早いです。
すぐに今でもお世話になっている岐阜信用金庫美和支店を紹介してくださり、資金調達の旅が始まります。
結論、お金は借りることができました。
監督が動いてくれてからはめちゃめちゃ早かったです。
当時の美和支店の担当さんは僕が仕事が終わってから近所のガストで打ち合わせをしてくれたり、僕のお昼休みを使って必要な書類の指示など全て段取りをしてくれました。
本当に感謝しかありません。
今借りている金額の半分以下ですが通帳にドンっとお金が入っていた時の安堵感は今でも忘れられません。
そんなたくさんの人の支えがあり、今があります。
感謝しかありません。
次回は別れと水面下での動きです。
ご予約・ご相談お待ちしております。
開業して10年を間も無く迎えるわけですが、僕の売っているものは治療技術です。
その治療技術は開業当初と現在とでは異なります。
2015年に開業し、順風満帆かと思いきや2018年まではなかなか厳しい状況が続きました。
車でいうエンジンを変えないと何も変わらないと言う思いで、2018年5月に整動鍼®︎セミナーに参加しました。
そこから技術はブレず、整動鍼で日々患者さんに向き合っております。
先日、その整動鍼が生まれた場所であり、今もこの瞬間もツボが生まれ続けている養気院さんに行ってきました。
この養気院さんがなければ今の僕もいないわけです。
整動鍼を学び始めてからいきたいと思っていた場所。
それが養気院さんです。
なぜなら整動鍼を学び始めるまで僕はあまり業績が芳しくなかったのですがそれを「地域性」という言葉に身を包みながら、ある時は盾にしながら「この地域でやってるからダメなんだ!」と他責思考に陥っていました。
整動鍼を学んでからもうまくいっている先生やキラキラしている先生はいい立地でやってて、自分はハンデを抱えている状態で経営をしているなんて思っていました。
そんなある日、Googleマップで「養気院」を調べました。
すると。
どこかで見たような田園風景の写真がネット上にたくさんあがっていました。
その時、地域性を盾にしていた自分の甘さを感じたと共に、自分もこの地域で充分やっていけると言う明るい未来が見えてきました。
スカイツリー、アサヒビール、浅草寺など知る人ぞ知るThe日本である浅草からりょうもう号に乗って群馬県を目指します。
電車に揺られること2時間ほど。
群馬県の車窓。
地元にすごく酷似した風景が広がっていました。
境町駅という駅からタクシーに乗り、ついに着きました。
養気院さんです。
北欧を思わせる建物。
信じられないだろこれ。
鍼灸院なんだぜ。
写真左下に見える水道のデザインがアルプスの少女ハイジに出てきそうな感じで細部へのこだわりを感じました。
ここからもう非日常の体験が始まっているんですね。
養気院の前の風景です。
もう院の周辺は私の住むあま市よりものどかな田園風景です。
旧立田村に近い雰囲気でした。
それでも20年以上たくさんの方に支持されている養気院さん。
さまざまな工夫が施されており、備品ひとつとっても落ち着ける空間へのこだわり。
動線の工夫。
何よりも一番はスターバックスが最高のコーヒーを追いかけるように、日々、研鑽され続ける技術、ツボへのこだわりです。
どこにいようとも我々鍼灸師が対峙するのは人です。
その人にとって快適かつ安全かつ、求めているものに応えることをし続ける。
これが巷に溢れる小手先のテクニックでは到底届かない、とんでもないところにいける一番の近道なのかなと思いました。
もうすぐ、僕も10年です。
その節目にこの場所に来ることができて本当によかったです。
有意義な1日をありがとうございました。
僕もさらに頑張ります。
ご予約・ご相談お待ちしております。