出発を告げた日
当院は2015年5月7日に開業しました。
2025年5月で10年を迎えます。
その振り返りをしています。
最初のブログの続きです。
当然のことながらその以前は開業はしていないわけです。
開業する前の仕事
開業する前は大手整体リラクゼーションの会社で人に技術を教えていました。
この写真が残っていたことにびっくりです。
それまでたくさんの人に技術を伝え、世に輩出していました。
中にはサロンオーナーになった人もいれば、オリンピック選手に施術をしている人もいれば、僕のように鍼灸の道に進んだ人もいます。
この会社には鍼灸の免許取得後7年いました。
イコール、7年もの間、鍼灸を使って人からお金をいただくということはしてきませんでした。
俗にいうペーパー鍼灸師、潜在鍼灸師というやつです。
葛藤
3年目くらいの時にアメフトのチームでトレーナーをやりました。
その時に現実にぶち当たります。
「何もできない」
それは日々、自分が臨床に出ていないからであり、その頃から鍼灸の資格を活かして臨床がしたいと思うようになりました。
かつての会社の部長に辞めたい旨を話すと、「鍼灸で食っていけるわけねぇだろ」と一蹴されました。
今思えば、その部長は鍼灸の免許を持っていないのと部長が知っている鍼灸師で生活できている人を見たことがないこともあり、丸め込まれ、時が経ってしまいました。
時がたち・・・
だいぶ端折ってますが私は行動に出ます。
開業の11ヶ月前になります。
2014年6月。
先述の部長は育成部が独立した社長に変わっておりました。
社長に思いを伝えました。
「妻と話し合いました。自分が本当にしたい鍼灸の治療ができないまま時間を過ごしたくないです。もう退社したいです。」
また丸め込まれるかなと思いながら社長はこう言いました。
「いつを考えている?」
私はこう答えました。
「そうですね。今年度末までにはと考えています。」
これは人員の関係もあるのでめちゃめちゃ気を遣って9ヶ月猶予をあけました。
すると社長。
「わかった、それは確かに言えている。ここにいてもやりたいことはできないかもしれない。でも、急すぎるだろ!9ヶ月しかないぞ!お前、誰か連れてこれるのか?」
そう言われましたが誰か連れてこれるか連れてこれないかはそっちの問題だったんだけどもう、退社を引き止められなかったことが嬉しすぎて耳に入ってこなかったことだけ覚えています。
妻と話し合ったこと
その時期に、清洲の先輩の院にて平日に休める時、研修に行ってました。
その研修は朝が早いです。
仕事に行く時よりも1時間くらい早いです。
それを見ていた妻が「鍼灸院に行くときと会社に行くときの顔つきが全然違う。今の会社にいても本当に自分が求めるものは手に入らないので辞めてきたら?」という話をされた時に決めました。
次回
ということで退社が決まり、どうなったのでしょうか・・・
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