決めた時
当院は2025年5月7日で10年を迎えます。
現在その振り返りをしています。
前回のブログはこちら。
思ってたんと違う
往診ならやっていけるというアドバイスを聞き、往診先にお渡しする資料、名刺をワードで作成、印刷しました。
聞くところによるとケアマネさんと知り合えばケアマネさんが利用者さんを紹介してくれると往診をやってる色んな先生が教えてくれました。
偶然かもしれませんが私の周りで往診をやってる先生は営業をしたことがない先生ばかりでした。
元々の勤め先で患者さんを引き継ぎ、独立。
その後、ケアマネさんが紹介、紹介という流れがあるというお話しでした。
とにかく、最初にケアマネさんと繋がっておこうとのことで色んなところをまわりました。
行政のケアマネさん、施設のケアマネさんなどなど。
すごく暖かい人もいれば、また来たかという人もいれば、絶対に連絡するねという人もいれば様々でした。
結婚式を9月に挙げ、その後11月頃から平日休みの時を使い動く。
しかし。
時が経つにつれて。。。
「あれ、まだ誰もいない。」
思ってたんと違う。
連絡も来なければ、こちらから連絡しても間に合ってるという返答。
退職までの時間が迫ってきました。
とある試合を見て決めた
時は2015年1月。
ちょうど今から10年前です。
今では10年やってる私も10年前はこんなに迷走していました。
この2015年1月といえばこのシリーズ第一段鍼灸院10年の足跡①~10年前の今頃の様子~
この時期です。
一番最初に技術を教えてもらった先生のもとで会社に隠れてアクティベータやってました。
その先生のところで小遣い稼ぎをした日の夜。
ふとK-1の試合を見ました。
ゲーオフェアテックスVS木村ミノル
当時の記事がインターネット上に残ってました。
引用はイーファイトさんです。
当時、最強と謳われた王者ゲーオフェアテックスと対戦した木村ミノル。
現在では木村ミノル選手は逮捕されたり、ドーピングをしたりといい話題はありません。
その当時もめちゃめちゃ群は抜いていなかったものの発言の大きさは印象に残るものがありました。
この試合はファイトマネー総取りマッチ。
そんな圧倒的格上相手のゲーオフェアテックス選手に対し、木村ミノル選手はダウンを奪い、大金星をあげました。
その時、ふと私は思いました。
「別に好きじゃないし、むしろあの煽りは嫌いだけど、木村選手は本当に人生をかけて戦って手にしたんだ。よし俺も頑張ってみよう。」
この時、当たり前な話ですが戦う一歩を踏み出さなければ何も手にすることはできないことを木村ミノル選手から学びました。
その瞬間、決めました。
「よし!もう箱を構えよう。」
そして、次の日にとある場所に行くのでした。。。
続く
次回は生存確率1割というお話しです。
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